So-net無料ブログ作成

記憶と記録として [日々の出来事]

 

東日本大震災から今日で7ヶ月。

あの時の事を書いておこうと思いたった。

 

 

あの日、あの時間、私と長女は何故か実家に居た。(記憶が定かでない)

次女は学校。

そうか、まだ次女は小学生だった。

中学生は何かの振り替え日だったのか何かだったのだろう。

そして地震が起こり、

私はパニックに陥った。

長かった。中学生の時に住んでいた宮城県仙台市で体験した大地震の時よりも

数倍長く感じ何倍もの恐怖を感じた。

その時既に停電していた。

その後奇跡的に仕事中の相方と携帯が繋がり、

次女が学校に居ることを伝え迎えに行ってもらった。

恐怖もあったが停電していて信号がついていない道路を走る事が怖かった。

私は余震の中、庭に止めてあった車で携帯電話の充電をしていた。

そんな中相方が次女を連れて来てくれた。

泣いていた。当たり前だ。

無事でよかった。涙が出た。

そしてそのままその日は実家に泊った。

続く停電と余震。恐ろしかった。眠れなかった。

夜中に突然隣の部屋から声が聞こえてきた。

電気が戻ってきてテレビが勝手についたのだ。

しかしその映像を見て恐怖が増してしまった。

『津波』の映像。

恐ろしかった。見なければよかったと思った。

次の日には自宅に戻った。

余震に怯え、テレビの報道に恐怖した。

土日の休みを終わってもわたしは動けなかった。

布団を敷きっぱなし。食事はいったいどうしていたっけ?洗濯は?

記憶がない。

子供たちは私から離れない。

首都圏に住む人たち、、地元地域社会は何故こんなにも早く元の生活に戻れるのか?

私には理解不能だった。

私は折れてしまっていた。

子供をそばに置いておきたかった。

夜は何かあった時に困るので眠剤を飲まなかったので当然眠れなかった。

それなので昼間寝てばかりいた。昼夜逆転だ。

勿論いつでも逃げられるように夜でもパジャマではなく、

普段着で布団に入っていた。

一週間もそんな日が続いてしまった。

そんな私達を相方は既に呆れてみていた。

私は気にしなかった。気にする事さえできなかった。

常に恐怖心でいっぱいだった。

緊急地震速報が流れるたび、怯えた。

あの音は今でもキツイ。

やっと子供たちも学校へ行けるようになったが、

私の中では何かが変わっていた。

3月11日以来。

全てが変わってしまった。

 

 


nice!(4)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 4

コメント 2

たいへー

変わらないのは、永田町に先生達ですかねぇ・・・
by たいへー (2011-10-12 07:39) 

yukikaze

津波の映像・・・音もほとんどなく、単なる映像でもトラウマになりそうなほどの衝撃でした。現場で自分の家が流されるのを見ていた人の心はどのようなものだったのか想像するだけでも心が折れそうになります。

そんな多くの国民と、声だけは「復旧・復興」を唱え、その実はそれを利用しているだけの政権。いつまで経っても何も前進せず、復旧・復興の足枷になるだけの民主党政権。

信用できない菅直人の次は、ダンマリ、ニヤリ、何もしない野田佳彦・・・。三代続けての無能総理で、日本全体が流されてしまいそうです。
by yukikaze (2011-10-12 09:52) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。